新たなる第一歩へ2

新たなる自分を考えるなどと、生意気な事を書いたが

この性格はもう治らないであろう。

 

今回もそうであるが、被災地でのボランティアでも考えたのであるが

最初の頃は被災者の支援を行っていたが、復興を考えた時に

被災地の高齢化では、復興は時間が掛かる。

 

そうなれば復興の為に地元の若者を育てる事が

重要だと考えたのである。

 

将来的に見ても、高齢者では復興に限度がある。

長い目で見て行かなければ、復興は成り立たないであろうと

自分勝手に考えて、行動を起こそうとした。

 

それは地元の高校生を育てて、復興の新たな

担い手と思ったからである。

 

私たちが復興と言っても、それは被災地の外からしか

見ていないのである。

それも大切であるが、地元を立て直すのは、

そこに住んでいる人たちが一番重要な役割を担う。

 

だが高齢化が進んでいる被災地では限度がある。

 

私は考えて地元の高校生を育て、復興に力に

成れば良いのでないかと思ったのである。

 

それは、あの災害を知っているし、災害前の自分たちの

町も分かっている。

どちらも分かっていると言う事は、自分たちが

経験して来ているのである。

 

私の考え方は経験している事によって、新たな事を考える事が

出来ると信じているし、そこには私たち部外者(ボランティア)とは

思いが違っている。

私たちは、あくまでも映像でしか見ていないし、恐怖感も味わっていない。

 

それは第三者目線で見ているにしか過ぎないのである。

それも重要な面もあるが、自分たちは経験していないから

あくまでも優しさでしかないし、人間の脳裏から消えさる率は

早いと思う。

 

だが、経験している人たちは自分の脳裏から一生消え去らないだろう。

この差は大きい。

 

私たちは第三者目線でしか見ていない。

これには、大きな違いがあると思う。

経験したて苦労したのと、経験なしで伝え聞いたのとの違いである。

 

私は、復興は地元住民の力が必要であり、将来的な面も考えて

計画するべきであると思っている。

 

続きは明日に・・・。

 

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