新たなる第一歩へ

前に書いた、高齢化に関して、自分なりに動いてみました。

 

だが結果は、自分の期待する部分がなかったし

失望してしまった自分が居ます。

 

ただ、ここで終わっては自分の考えが甘かったと思い

再度、違う方向から考えて行きたいと思っています。

 

まず失望は高齢化している方が、諦めが先に立っている事です。

これは日本人特有なのかもしれませんが、

出来ないだろう、やってもしょうがない、

やって失敗すれば周りから何を言われるかわからない、

皆がやっている事をやれば、何も言われないし、

もめ事も起きない等、色々な面を垣間見ました。

 

これは、今までも感じていましたが、寄らば大樹の陰、

皆で渡れば怖くない、出る釘は打たれる。

日本人特有の考え方(これは私だけが思っているのかもしれません)

これが先行して、新たな事に挑戦しようとしません。

 

新たな事が出てくると、それに対して疑心暗鬼を起こす傾向が

強く感じました。

 

色々な人と話しましたが、周りは乗らないでしょう。

もし実行しても、貴方が利益を得る為とか、あまり良い事は

言われないかもしれませんよと忠告もされたりもしました。

 

確かに新たな事をやろうとすると、今までも、このような問題は起きて来た。

それが日本社会の構想であったし、人間社会の仕組みなのかもしれない。

 

だが、踏み出さない限り進歩は無いという考え方の私には

無性に腹が立つ。

 

それで企業に居た時も同じで、上と、ぶつかり幾度も喧嘩をしたのであるが

懲りない自分は、考え方を変える気は無いのである。

 

今回は団地の高齢化に対して、互いに見守りを行いたいし

足腰の弱った方に重い食料などの配達作業を軽減させたい

と思ったのである。

 

これは日本人の主食であるコメは、誰しもが食べるものである。

注文を取りながら見守りを行い、人とのコミューケーションを

作り上げて行く事、次に主食のコメを被災地から宅配で送って貰う。

 

コメは毎日食べるものであるから、必要であるし重いから大変である。

それを、ある程度の量を注文する事によって、価格を下げて貰う事を

行って、東北の被災地のJAか農家との契約をするシステムを考えた。

 

だが、これは幾人から意見を聞いたが「必要ないのでは」

今で充分であるという意見が多数であった。

 

確かに現状では必要ないが、これから進む高齢化を考えると

やって置くべき事と考えたが、幾人かと意見が噛み合わなかった。

 

皆さんの考え方は、現在動いているから良いのだ。

無理に新しい事をやらなくても、今さえ良ければ無駄な力を

使いたくない。

 

これが日本の現状なのかもしれないが、私は小さくても良いから

挑戦して角度を変えながら、別な方法で高齢化に挑戦して行きたい。

 

そのためには、高齢者の考え方を変えなければならないが

これが最大の難関であろう。

 

前に書いたが、「日本人と政治」の封建的民主主義の精神が

染み付いてしまっているのを感じた。

 

高齢者が、この考え方で選挙に投票する限り、日本の政治は

変わらないであろう。

 

投票率が高いのは高齢者であるから、

高齢者の方は、「私たちの行く先は決まっている。

だから無駄な事はしたくない」

 

これは私自身も高齢者であるから分かるが、次の世代の事を

考えるべきであると思う。

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