戯言1

私がこんな事を戯言として書いた。

私は二人の愛する人を、今でも思い続けている。

どちらも女性であるが、一人は母で私が小学校6年の時に

この世を去った。

それは父の暴力で亡くなった。

母は私達子供を食べさせるために、夜働いていた。

それは戦後の間もない時代では、女性が働く場所は

夜しかなったからであり、父が働かなかったから

母が働いて私達3兄妹を食べさせてくれた。

母は馬鹿が付くほど、お人好しであり、

カトリック系の女学校を出た、お嬢さん育ちであったので

母は働く事など出来るのかと思ったが、

私達子供の為に働いたのである。

父は短気ですぐ手が飛んで来る人であった。

その暴力は半端でなかった、他人から見ると

狂気的であったと思うし、私から見ても狂暴であった。

今の女性なら別れているであろうが、

母も実家に逃げ帰った事が幾度もあるが、私が迎えに行くと

母が言っていた「子供の為に別れない」と言っていた事を

私は幾度も聞いた。

あの頃の母は自分の気持ちを殺して、子供の為に生きていたのであろう。

そんな母を見て育った私は、早く大きくなって母を助けたいと

幾度も思ったものである。

父は、酒は飲めないのであるが、酒乱ではないが

気が短いのと、理論で人を追い詰めるタイプであった。

母の身体に痣が無い事はなったし、私も同じように父に

躾と言って幾度も叩かれて、母の止めに入ると

今度は母に暴力を振るって母が犠牲になっていた。

母は私をかばってくれたし、私を可愛がってくれた。

だから母が実家へ帰った時は、私が父に言われて迎えに

行く役目であったが、自分としては母が実家に居る方が

良かったのではないかと思う事が幾度もあった。

そんな父に暴力で妊娠している母は、お腹の子供と

一緒に亡くなった。

私は父を憎んで、グレ出したが小学六年生では

それが自分での抵抗できる範囲であった。

私の愛する母を亡くした悲しみは自分にとって深い傷だけが

残ったが、そこには何も出来ない自分も残った。

同時に、この事が自分の人生を作り上げたようにも思う。

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