自分を振り返って1

最近、自分が嫌っていた父と同じような人生を

辿っているように感じる。

私は父が嫌いであった。

それは父の暴力によって母が亡くなった事が原因で

私は父にだけは、世話になりたくないと思い生活して来た。

母が亡くなったのは私が小学校の6年生に成ったばかりの頃である。

母の死に顔も見せて貰えず、私は泣くだけであった。

それからの私は父に対して反抗したが、厳しい父であったし

直ぐに暴力的圧力で威圧されていた。

私は長男として厳しく育てられた、父の躾は暴力的あった。

そんな私を助けてくれたのが、何時も母であったが

そんな母を父は暴力で死亡させた。

それは私の心の拠り所であった母を取り上げたと思った。

まだ幼い自分には深い傷となった。

その傷の癒す事は自分には出来なかったが、父に対する反抗心が

芽生えて行っただけである。

私は家出を繰り返し、食べる為に盗みもした。

それが父の逆鱗に触れ、私は幾度も死ぬ思いの暴力を受けた。

確かに、まだ小学生では一人で生活など出来ない。

だが父だけは許す事が出来ない自分が居た。

母は馬鹿が付くほど、お人好しで自分の家に食べ物が無くなるのに

人が借りに来ると貸してしまう人であった。

母はお嬢さん育ちでカトリック信者であった。

そんな母を私は愛していたし、慕っていた。

父の厳しさに耐えられたのも母が生きていたからである。

その母が居ない自分には、何も残されていない心境であった。

だから父に反抗して家出を繰り返していた。

食べる為に盗みもしたし、野宿もした。

だが連れ戻されて父の折檻にあう。

それは半端ない折檻である。

バットやデレキ(石炭ストーブに使う鉄の棒)等で

死ぬほど殴られた。

殴られながらも恐怖を感じていたが、父への憎しみが

増すばかりであった。

子供は親の暴力の激しさでは、恐怖しか感じない。

労わる気持ちが無ければ躾とは言えないと思う。

そんな自分であったが、父に対する憎しみは増すばかりであった。

 

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