自分を振り返って3

子供の世界は、ある時は残酷でもある。

力でねじ伏せる事も当たり前であり、自己防衛力が無ければ

従わなければならないのが子供の世界である。

ましてや施設の中は、子供たちの世界であるから限度を

知らない部分が多い。

私は学校で学級委員等や、成績も良かったので

施設内では暴力的なグループに目を付けられる。

だが一般的に見て「施設の子」というレッテルを貼られて

見るのが施設外の人たちである。

それは大人も子供も同じであった。

これは仕方のない事であるが、施設内の子供にしては

耐えられない環境ではある。

自ら施設を選んだ子は殆どいない。

誰しもが一般社会で暮らしたと子供心に思っていたであろう。

生活の糧を得られる年代に達していないため施設と言う枠に

入って、規則にはめられて生活しているだけなのである。

だから一般社会から「施設の子」という見方をされると

反発してしまう傾向は強い。

多くの子は、それに負けて学校などで悪グループに成る。

その中で目立ってしまった私は、施設内でイジメの

ターゲット対象に成ってしまった。

だから、上級生や同級生に呼び出しを受けて殴り合いの

喧嘩をさせられた。

相手は一人では無い、三人ぐらいが当たり前で

最後は自分が疲れきってボコボコされるのである。

これも施設の職員に見つかれば大事に成るので

隠れてやる。

見張りが立って部屋でやらされるが、職員が来ると

私たちを囲んで見えなくして遊んでいた振りをするのである。

私は幾度かブログにイジメに関して書いたが

イジメは無くならないであろう。

イジメが騒がれると、イジメ形が陰険になるだけなのである。

だが、私はこの施設での経験は、自分が大人になってから生かされた。

私は最後まで一匹狼的存在を貫いたが、施設でも学校でも

信頼を得る事が出来たし、差別に対しても、この経験で生かされたと思う。

人は差別やイジメを行うが、これは人として生きて行く上で

消えないであろう。

私は差別もイジメも同じ意味だと思っている。

子供ではイジメと言う言い方を使い、大人同士では差別という言葉を

使っているだけである。

内容は同じである。

私自身、この経験が社会人に成って、自分なりに生かしたと思う。

それは若い頃は暴力的に脅す相手に反抗的であり、よく喧嘩をした。

そこには暴力に屈しない自分が居たが、同時に警察の厄介にもなった。

相手はチンピラや下端やくざなので、最初は相手の挑発に乗って

私が手を出してしまったが、相手のやり方は言葉で挑発して

相手に手を出させるのが目的なのである事が分かり、

それからは自分から手を出さなくなった。

そこには施設時代の暴力に屈しない自分が居たのと

人を暴力で威圧する事に反発したから、社会人に成って

その様な暴力で脅す人間を嫌ったのであろう。

ただ、警察に行って最初の頃は自分が怒られる事が多かった。

相手は警察に何度も厄介になっている連中なので顔見知りなので

警察と互いに挨拶をする状態であった。

このように施設で経験した事が、自然に自分なりの防衛本能を

作り上げて居たのであろう。

それは海外でも生かされた、周りが危険だから一人で行くなと

言う所にも良く出入りしていた。

誰と親しくなれば危険では無いという本能が働き、

その人物と親しくなったりしたし、海外では二度ほどピストルを

突き付けられたが、自分自身は、それ程危険を感じていなかった。

これも自分が少年時代に歩んで来た経験が

そうさせたような気がする。

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