自分を振り返って4

次に差別に関しては、自分の経験から人を差別する事に関して

少なくなったと思う。

差別を自分自身で、していないとは言えない。

私も人間であるから、差別やイジメをしていないとは言えない。

ただ、相手を思いやる気持ちは持つようになった。

これは私の母からも学んだし、施設でも学んだ事である。

自分が差別を受けた時の気持ちを考えると、他人に対して

同じような事は出来ない気持ちに成る。

母もそうであったが人に優しく温かい人であった。

カトリックの信者であったからかもしれないが、

人に対しては思いやりがあった。

私は小さかったが、母を見て育った部分が

人に対する思いやりを持てる事が出来たと思う。

確かにオットリした部分がある母であったが

人を思いやる気持ちは強い人であった。

前にも書いたが父は、お酒は飲まない人であったが

直ぐに手が飛んで来る人であり、父の暴力で母が痣だらけの

場面を幾度も見ていたし、自分も受けた経験からも

母はよく我慢していたと思う。

母は幾度か実家へ逃げ帰った事があり、私が父と別れたらと

言った事がある。

その時の母の答えが「お前たちが居るから別れない」と帰って来た。

それだけ子供たちの事を考える人であった。

また、父は病弱なのか仕事をしない事が多かったので

母が働いて、私たち兄妹を食べさせてくれていたのである。

あの頃は男が働き親子を食べさせるのが当たり前と

考えられていた時代であるから女性が働く場所は少なかった。

その母の優しさを、私の今の年代に成っても思い出す。

そんな母から学んだ事と自分自身が「施設の子」と言う

差別的な経験から、私は、差別は人を傷つけるだけであると

感じ取ったし、自分なりの考え方を持つようになった。

確かに施設から普通の学校に行っていたが、

私の場合は学校では3年間、必ず学級委員に選ばれたが

施設の子供会の会長もやっていて、町の子供会の集まった

会長にも選ばれたが、その時に運営する大人が

「あの子は施設の子だろう」と言う声が聞こえた。

だが子供たちに推薦されて会長となったが、

そこには大人たちが、私たち施設の子に対しての

偏見を感じたのである。

それでも会長に成ったのは学校の同級生が

皆で応援してくれたからであろう。

その時、自分なりに負けたくないという気持ちが強くなったのを

今でも感じるし、あの時に自分なりに一生懸命やれば報われると

思ったのである。

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