自分を振り返って5

私は次に差別を感じたのは、私を愛した人である。

その人は私を好きだから付き合ってほしいと相手から言って来た。

私の若い頃は女性から言う事は殆ど無い時代であった。

愛を表現するのは男性が行うものであると言われていた頃で

彼女から言う事が、勇気が居ることであったろう。

ただ私は、女性に対して付きあう方法が良く分からない人間である。

早くに母を亡くした事もあり、女性に接する方法が理解できていない。

今もそうであるが、2度結婚したが、どちらも自分から積極的に

言った覚えがない。

施設時代も女の子からアプローチされて、付き合った事はあるが

それも自分からでは無かった。

このような人間であるから、2度も離婚するのかもしれない。

話は戻すが差別を感じたのは、私が愛した人。

その子はから告白され、私は断ったのである。

その頃の、自分はホワイトカラーの職業に付きたかったから、

がむしゃらに勉強していた。

だから、彼女からの願いを断ったのである。

私が断った時に彼女が涙を流して居たので、私は、その涙を見て

動揺して「友達としてなら」と言ってしまった。

男は女性の涙に弱いのである。

それが縁で付き合う事に成ったが、その子は外国人手帖を持っていた。

最初は、私は日本人でだと思っていたので、何も感じなかった。

付き合いだして周りのアルバイトの上司から「彼女は朝鮮人だから

付き合わない方が良いぞ」と言われたのである。

その頃は朝鮮の方に対する差別行為が氾濫している時代であった。

私が子供の頃など朝鮮の子供を馬鹿にした行動を取るのを

良く見ていたし、誰しもが馬鹿にした態度を取る事が多かった。

子供であるから限度を知らない言い方に成していた。

太平洋戦争で日本に強制的に連れて来られた人が殆どであろう。

日本人は、それを知りながらも差別行為を行っていた。

私の母は、それを行う事を嫌った。

確かに母はカトリックであるから、人間は平等であると

教えられたのであろう。

私たち兄妹に対して、その様な行動を戒めていた。

だから私は上司の言葉に反発を感じて、その子との付き合いを

やめる事はしなかったし、付き合う毎に彼女を好きになっていったのである。

彼女は、父親は既に居なかったので母親に育てられた。

小さい頃には差別によってイジメにもあったのだろうが

そんな素振りも見せないほど明るい人であった。

親の苦労を知っているのか、休みには必ず実家に帰って居た。

彼女は住み込みで働き、母親が彼女の仕事先から借金をしていたので

自分の給料から返済して居たのである。

こんな事を今だから書けるが、その頃は、日本人は戦後の苦しい時期を

乗り越えて繁栄期に入る前であったから、貧しさを皆経験していた。

私も貧しさから抜け出したかったし、前にも書いたが父からの援助は

受けたくなかったので自分なりに勉強して上を目指していた。

だから彼女の受けた苦しみは分かるし、互いに支え合う気持ちが

私の中に芽生えたのである。

私も差別や貧しさを経験していたから、周りの反対に抵抗したのであろう。

だが、これが私の人生の転換期に成った部分が大きかった。

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