自分を振り返って7

それは父も、母の愛情を知らないで育った部分があった。

父の実家は松前でも有名な家であり、ニシン御殿を建てるくらいの

豪勢な蔵も幾つもある家だと聞いている。

だが、父の母は後妻として、その家に嫁いだ為に、

自分の生んだ男の子は全部、他に養子に出したそうだ。

それは先妻に男の子が一人居たから、その子と私の祖父が死んだ後に

財産争いが起きないた為と聞いた事がある。

それだけ聡明な祖母であった。

だから父も乳飲み子の時に養子に出されている。

父方の私から見て叔父達も全員養子に出されたので、姓が違っていたり

親戚筋で同姓の方に出された人もいたそうだ。

ただ、女の子だけは家で育てられたと、父方の伯母から聞いた事がある。

伯母は私の父は「母の愛情を知らないで育ったから可哀そうだ」と

私が会った時に言っていた。

父は養子に出されたが先が没落して、大学を出たて頃に自分の家の

姓に戻ったそうだ。

その後は母と結婚して私たち3兄妹をもうけたが、

母は父の暴力で亡くなった。

父の粗暴な所は母の愛情を知らないで育った部分があったのであろう。

その面でも私は同じような経験をしている。

次には私には亡くなった母を含めて戸籍上の母は4人居る。

私は亡くなった母以外は「おばさん」としか呼ばなかった。

母もそうであったが、父とは10歳以上離れている人が

殆どであり、私も最初の奥さん以外は歳の離れた人と結婚したり

付きあっていた。

その面も似ているし、理屈っぽい所も似ていたりするが

私の場合は相手に対して言葉で圧迫しない部分が違っている。

どちらかと言えば口足らずなのが私である。

その面では父の言葉で圧迫された面が、私が嫌ったのであろう。

父を反面教師と思っていたが、自分の辿って来た人生も

父に似た感じで推移している。

父とは一緒に生活したのは、小学6年の終わりまでであるので

そんなに影響は無いと思うが、どうも同じような運命を

辿っているように思えてならない。

これは運命なのか、運命など信じない私であるがDNAが

そうさせるのか、父に似た部分と母に似た部分が交差している。

これは当たり前であるが、嫌いな部分が似て来ているのは

自分なりに嫌なものである。

ただ、母の良い所も似ているので自分なりに安堵しているが

それもお人好しな所であり、人には嫌と言えない部分なので

自分で独立した時もあるが、自分は金儲けが出来ない人間であると

その時に思って技術者として生きようと決めた。

父の死は長男である私が看取ったが、それが長男としての

勤めであると言う責任感からであった。

人はこの世に生れ出て親と同じような人生を辿るものなのか

他の人たちに聞いてみたいものである。

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