自分を振り返って(最終)

自分なりに歩んで来た道を考えると、自分の心の痛みや悩みなどを

顧みる事が多いように思う。

人はそれぞれに自分の歩んで来た道を顧みるのであろうが

それを生かさなければと思う事を、私は感じ取っている。

私自身は人とは違った部分を沢山経験したと思うが

それを生かすためには、私と同じような経験をした人が居たなら、

自分がその状況下で、どの様に思ったかを考えるようにしている。

そうすると同じような部分で相手の気持ちを考えられると思って

私は行動して来た。

逆に言えば私は普通に生活して来た人と違う部分を多く持っている。

それは自分にとっては幸いな事だと思うのである。

確かに、その時の自分は苦しかったが、時が過ぎれば

それは自分の経験として生かされて来たと思う。

同時に同じような経験者と、同じ目線で合わせられるので

アドバイスも出来ると思っている。

自分の経験から相手の気持ちに成って見る事を心がけている。

それによって相手を思いやる事も出来るし、

相手の立場も少しではあるが、理解出来ると思う。

人は皆同じ経験はしない、互いに違った経験を持っている。

そこで相手の目線に合わせた時には、

自分も別な面で経験出来ると思うのである。

これは貴重である。

人生は学ぶ事であるが、学びは自分一人では学ぶ部分は少ない。

多くを学ぶためには、相手との対話や行動からも学ぶ事が大きい。

それは自分にとって貴重なものである。

生意気かもしれないが、相対する場合は目線を同じくする。

それは老若男女でも同じである。

目線を同じくする事で、初めて互いを理解しあえる部分が

出てくると私は信じている。

だから、私が受けた差別でもイジメでも経験から

自分なりの意見を言える事だと思っている。

経験して居ないで言う事だけ言っていたら、

それは空論に近いものと私は思っている。

自分の生きて来た証の為にも、今までの経験を生かした事がしたい。

自分なりに努力しているが、まだ至らない自分が居る。

人は自分の歩んできた道で満足する事が出来ないのであろう。

それがあるから、人は学ぼうとするのかもしれないが

自分は学び足りないし、これからも貪欲に学んで行きたい。

(44)

Leave a Reply

*