田舎者の私1

私は東京に出てきた頃に、田舎者丸出しの事をやった事がある。

 

それは紅茶であった、私の子供の頃、実家で喫茶店を 営んでいた事があり、コーヒーや紅茶等を出していたのであるが、

 

その頃は、私が小学校に上がる前の事であったので、 メーカーなどは、おぼろげに覚えていた記憶があったのである。

 

喫茶店は夕張と言う炭鉱の田舎町で、戦後4~5年くらいの頃に 開いていたので、田舎町ではハイカラであったのだと思う。

 

父は東京の大学を出ていて、お洒落な人であったし ダンディであった。

 

私からするとキザだと思う所あったが、あんな気の荒い 田舎町で喫茶店を開いて、珍しさも手伝って 繁盛していたのであるから、面白いものである。

 

そんな事で私の家では朝食は、パンとコーヒーか紅茶であった。

 

子供の私達にはコーヒーは苦くて嫌だったので、 紅茶を好んで飲んだのである。

 

私は父から紅茶のメーカー等を聞かされていて、 香りや味を父の講釈で覚えていたのである。

 

東京に出て来た私は、友達とある高級な (私達からすると高級であるが) ホテルのラウンジで友達と、お茶を飲もうと言う事になって、 恐る恐る入って行ったのである。

 

友達はコーヒーを、私はコーヒーが苦手だったので 紅茶を頼む事にしてウエィターを呼び「コーヒーと紅茶」と 頼んだのである。

 

ウェーターは「紅茶は何になさいますか?」と問われたので 私は「日東紅茶」と答えたのである。

 

その時の、ウエィターの顔は、「えっ」と怪訝な顔をして 「日東紅茶ですか?」と言って、軽蔑したような言い方を するのである。

 

友達は、友達で笑いを堪えて、俺とお前は他人だという顔をして そっぽを向いているのである。

 

私はそれでも「そう日東紅茶」と言っていたら、ウエィターは 「紅茶の種類なのですが・・・・」と言うのである。 私は意味が分からず「何でもよいから紅茶を持って来て」と 答えて、その場を切り抜けたのであるが、

 

セイロンやダ~ジィリン、アッサム等と言う、

紅茶の種類など分からなかったのである。

 

私にとっては、田舎者丸出しの屈辱的なことであった。 思えば家では紅茶を缶で買っていて、ポットで入れて 飲んでいたのであるが、小さい私は種類など 分からなかったのである。

 

分かっていたのは、リプトンと日東紅茶のメーカー名で、 私は香りの強い、日東紅茶が好きであった。

 

その印象が強かったのか、それが言葉として 出てしまったのである。

 

そんな事があった私は自分が恥ずかしく、 また、田舎者である事を感じて、それからは 紅茶専門の喫茶店に行って、紅茶の種類の名前を 覚えていったのである。

 

その時の気持ちは、恥ずかしさと、自分の無知さ、 場所をわきまえない田舎者であった屈辱感しかなかった。 今だから笑い話で済むが、あの頃は友達には、 馬鹿にされるし、田舎者と思われた悔しさは、 若い自分に取っては辛いものであった。

 

それが紅茶専門店に通わせたのである。

 

今では紅茶に関しては、どのように入れ、 どのようにして飲むのか覚える事が出来たが、 これがまた、現在は何の役にも立たなかったのである。

 

私は外国で、ある程度の高級レストランに行って、 紅茶を頼んだ事が幾度かあったが、出て来たのは テェーパックなのである。

 

私は名の通ったレストランなのに、 テェーパックはないだろうと思った。 ところが別の有名レストランに行っても、 同じなのである。

 

田舎者の私が恥を掻いて覚えた事は、何であったのだろうと 思ってしまった。

 

むしろ、こんな時は「日東紅茶」と大きな声で 注文したい心境であった。

 

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