戯言1

3月 15th, 2014

私がこんな事を戯言として書いた。

私は二人の愛する人を、今でも思い続けている。

どちらも女性であるが、一人は母で私が小学校6年の時に

この世を去った。

それは父の暴力で亡くなった。

母は私達子供を食べさせるために、夜働いていた。

それは戦後の間もない時代では、女性が働く場所は

夜しかなったからであり、父が働かなかったから

母が働いて私達3兄妹を食べさせてくれた。

母は馬鹿が付くほど、お人好しであり、

カトリック系の女学校を出た、お嬢さん育ちであったので

母は働く事など出来るのかと思ったが、

私達子供の為に働いたのである。

父は短気ですぐ手が飛んで来る人であった。

その暴力は半端でなかった、他人から見ると

狂気的であったと思うし、私から見ても狂暴であった。

今の女性なら別れているであろうが、

母も実家に逃げ帰った事が幾度もあるが、私が迎えに行くと

母が言っていた「子供の為に別れない」と言っていた事を

私は幾度も聞いた。

あの頃の母は自分の気持ちを殺して、子供の為に生きていたのであろう。

そんな母を見て育った私は、早く大きくなって母を助けたいと

幾度も思ったものである。

父は、酒は飲めないのであるが、酒乱ではないが

気が短いのと、理論で人を追い詰めるタイプであった。

母の身体に痣が無い事はなったし、私も同じように父に

躾と言って幾度も叩かれて、母の止めに入ると

今度は母に暴力を振るって母が犠牲になっていた。

母は私をかばってくれたし、私を可愛がってくれた。

だから母が実家へ帰った時は、私が父に言われて迎えに

行く役目であったが、自分としては母が実家に居る方が

良かったのではないかと思う事が幾度もあった。

そんな父に暴力で妊娠している母は、お腹の子供と

一緒に亡くなった。

私は父を憎んで、グレ出したが小学六年生では

それが自分での抵抗できる範囲であった。

私の愛する母を亡くした悲しみは自分にとって深い傷だけが

残ったが、そこには何も出来ない自分も残った。

同時に、この事が自分の人生を作り上げたようにも思う。

(35)

ネット社会に思う

3月 10th, 2014

今の時代は高齢の方以外は、SNSをやらない人が少なくなった。

確かに便利であるが犯罪に使われる率もアップして来たと思う。

私自身は40年以上コンピュータに携わり、システム作りを生業として来たが、

コンピュータの恐ろしさも知っている。

これだけPCが発達して来るとは思わなかったが、PCの発達とともに

オンライン化が進み、便利な時代にはなったが、私の危惧していた事が

起こりつつある。

それは対人間に関わる事であるが、今に時代人間同士の会話が

減りつつあるように思う。

それは別な面で人間不信を起こしているのではないか?

インターネットで会話していると、若い人は思っているであろうが

会話は人間と対面でして行う事によって、信頼関係が生まれるのである。

ネットでメールなどの文章で会話したのを、

会話と勘違いしている人が多いように思う。

特に若者は、その様に勘違いをしている傾向がうかがえる。

これは高校や中学時代から、メールなどで連絡しているが為に

それを会話と勘違いしてしまっているのであろう。

これは教育関係にも問題が生じてしまう。

今の教育に携わる先生方もメール時代を過ごして来た先生なので

人との会話を重視しない傾向が出ているのではないかと思う。

全部がそうではないが、その様な状況を否定は出来ないであろう。

私自体もコンピュータ関連が長いがので、メール等は使う。

だが、私の場合はコンピュータの発達によって、対人間関係に

問題が起きる事を危惧していた。

それはコンピュータの発展とともに、誰もが使う時代に成って来たので

コンピュータを道具と見ないで、自分の分身的存在にする傾向が

強くなったからである。

これが問題なのである。

私は初期のコンピュータ時代から、この業界で生業を立てたが

コンピュータの中期頃に疑問を感じ始めた。

それはPCの発展とともに対人関係の悪化が生じるように思えたのである。

私はPCが開発された頃からメーカーや大学などとの研究会に出ていたが

私たちシステム開発者からすれば、PCはおもちゃ的に見ていた。

だが大学側では発展する要素が強いと言っていた。

確かにその通りに発展して来たが、そこには機械的発展のみを

討論していたのである。

確かにコンピュータは便利であるが、対人関係に使う場合は

色々な問題点が生じてくる事を考慮しなければならない事を

私たちコンピュータに携わる者が考えなければいけなかったが

コンピュータの進歩するテンポが速すぎて、そこまでの考慮する事が

出来ない状態に成っていった。

同時にインターネットが発達して、PCの性能も高くなり

あらゆる分野にPCが出て来たが、それと同時に対人間関係の問題も

生じるように成って来たと思う。

今やメールやSNSは当たり前であるが、そこにはあくまでも文章での

やり取りであるが為に、人それぞれの理解の仕方が違って来る場合ある。

そうなると相互間の相手が見えない事で、好き勝手なメールが飛び交い

中傷的な文章を堂々と書く人たちが出て来ている。

だが文章には書ききれない、説明できない部分が多くある事を

考慮するべきであるが、それを理解しない人も増える。

同時にSNSの発展により、twitter・facebook等が

発達して便利さが出て来た。

同時に犯罪要素も隠されるようになって来ている。

果たして、これからはこのNET社会をどの様にして行くか

考える時期に来ている

(51)

イジメに関する私の考え方

3月 8th, 2014

イジメに関しては、奥が深い。 いじめる側は家庭環境での問題がある子が多いと思う。 いじめる側の家庭では、知らなかったという親が居るが それは違っているような気がするのである。 私のように虐待を受け、そのストレスが他にぶつける事が いじめる側になりかねないのと、いじめられる側にもなりうる。 だが親はそれを認めず、躾と言ったりするが、違っている。 子供は、暴力的な躾は、それが劣等感になりうるのである。 子供は恐怖感から、自分が駄目だと思ってしまい劣等感になり それが子供として、伸びる部分を摘んでしまう場合が多い。 私の場合は親の暴力的な躾で、自分を萎縮させた部分が多かった。 それが自分の劣等感になっていたし、学校に行っても その面が出ていた部分が多かった。 逆に、そのストレスが、いじめる側になる部分が多い。 ただ、私の場合は母が庇ってくれ、自分の代わりに父の暴力を受け、 それが父に対する憎しみが強くなった部分があった。 それが別な面で出て、反骨精神を生まれだしたと思っている。 そこには父の暴力で、母が亡くなった事が大きすぎたからだと思う。 その事によって私の反骨精神が、イジメに対しても 負けない部分を作ったのと、私は母を尊敬していた、 母はカトリック信者で人に対する、色んな面を教えてくれた、 それは人に接する優しさである。 子供は親の背中を見て育つ事は、親は分かっているであろう。 家庭で子供の良い点を褒めるたり、躾をきちんとしている子供には いじめる子は少なし、いじめられる側になる事は無いように思う。 だが現在の親たちは、高度成長期に育ち、私から言わせると 躾に対して甘い部分が多すぎる。 善悪を教え方が下手、子供の自立心を 考えていない部分が多すぎる。 「絆」という言葉も、私たちの頃は自然であったが、 今回の東日本大震災で「絆」が言われるようになったのは 日本人自体が「絆」を忘れていたからだと思うのである。 その忘れていた「絆」が、今回の大震災で出てきたのだと思う。 こんな事を書いたら、年寄りの戯言と言われるであろうが 私の経験談から思うと、今、親の躾は「個」を優先している 人と人の輪を教えないし、学校でも、それを教えていない。 受験のために学科を教え、如何に良い学校に入るかを 優先しているし、親もそれに同調して競争心を植え付け 人と人の絆を忘れた学校教育と家庭で育つことによって いじめをエスカレートさせた部分があると思う。 それは行政にも問題があるし、私たちが育てた子供にも なお、そのようにしてきた私たち世代も責任がある。 今の世代で反省できる、今回の大震災による「絆」を 大切にして行かなければならない。 それは、いじめと違っていると思う人もいるであろうが 人と人の「絆」や労りの気持ちを植えつける事によって いじめの部分は少なくなるであろうと思う。 そこには家庭と学校での躾の仕方もある、良し悪しを はっきりと理解させる事によって、いじめの問題は少なくなると思う。 だが、今の人に対する思いやりや、労りを教える家庭が少ないように 思うのは、親の世代が受けた教育にもある。 今のいじめは陰険になりつつあるのは、学歴社会を進行させ 国の成長とともに、いじめも歪つになって来たと思う。 いじめに関しては、裕福でも貧困でも、無くなる事は 無いであろう。 私も途上国で仕事をしたが、貧困の差でも、いじめを見たし 私たちの時代でも貧困の差による、いじめがあった。 これは子供の中では、どうしようも出来ないことである。 貧しい子は、いじめる側になる率が多い、裕福な子は いじめられる側になる率が多いようだ。 私の時代も同じ傾向であった。 だが死に至らしめる、いじめは無くするべきである。 それは父兄も学校側も行政も、それなりの対策を考えて もう一度、人間感の「絆」を教えるべきである。 今回の大震災で、そのチャンスが来たと思う。 人と人の交わりの中で、労りや優しさを学ぶことが出来 いじめに対しても、子供の中でいじめを対処する気持ちを 育てる事が出来て、いじめが少なくなるであろう。 いじめに関しては、無くする事は出来ないが、 人との絆や、人との繋がりを教えることによって 考えて行くべきである。 それは親も学校も行政も対応しなければ、いじめは 少なくならないであろうし、今の状態ではいじめは 陰険なり、いじめが巧妙化してくるだけであろう。 行政も親も学校も、色々な方策を考える時期である。 今の状態で、騒いでいるだけでは、いじめはむしろ 陰険になるだけであろう。 これは大人たちの責任である。

(64)

3年目の被災地に思う

3月 7th, 2014

あの大災害から3年目に入った。

多くの犠牲者を出した災害は、復興へと進みつつあるが

今だかって復興は進む状況には無いとも言われる。

私も3年間ボランティアとして、毎月行ったが私が感じた事は

被災地の人たちもボランティア活動で支援する人たちも

慣れ過ぎて何かを忘れているように思えてならない。

確かに3年目と言う節目は、仕事でも結婚でも、慣れというものが

出て来てしまう時期である。

これが今の被災地の人にも、ボランティア活動の人たちにも

出て来てるように思える。

特に被災地の方は行政の遅れによって、復興まで考えられない人達が多く居る。

この事は政治に問題があるし、今の政治家では出来ないであろう。

特に国会議員などは被災の事を忘れたかのように動いている。

これに伴い官僚も同様であるがために、それで行政的問題が

足かせとなって復興が進まない事が大きい。

この遅れが、被災者の方の復興への意欲を欠落させる原因でもある。

私は幾度も同じ場所にボランティアとして行っているが、

今や被災した方の多くと親しくなるが、そこには見え隠れする状況は

被災者側に頼る気持ちがある。

これも問題であると私は思う。

3年目に成ると自立意識を高めなければならないが、それが欠落している部分が

見受けられるように成って来た。

全員がそうでは無いが、その様な傾向が強い。

これは被災地行政の責任でもあり、復興手段の遅れが

復興に対しての住民意識を欠落させている。

また、ボランティア側も震災当時と同じような行動を取る事にも責任があるが

3年目が終わったら、今後は復興で無く振興を考えた行動を被災者側も

ボランティア側も行う事を考えて行動すべきである。

復興自体、地域住民が立ち上がらなければ復興は出来ない。

これは誰が考えても分かる事であるが、一部の人たちは考えているが

まだ、まだ行政側も被災者側も、そこまで行きつけていないように

私は感じるのである。

これは人間心理である、慣れ合いがボランティア側にも

被災者側にも出て来ている。

また、別な面で問題も起きている。

それは被災者同士の問題である。

特に地方であるがゆえに、近所関係は都会から見ると親密である。

これが仮設住宅から出て行く側と、残る側の摩擦も生じている。

また、高齢化によって資金的な条件や、仕事の関係などで働く場所も

無い状況であるがために仮設から出られない人達も居る。

このような状況下で先を見越したボランティア活動が必要に思える。

(42)

日本人と政治

3月 6th, 2014

私は日本人の政治に対する考え方に疑問を持っている。

一応日本は民主国家と言われているし、国民もそう思っているであろう。

だが、本当に民主国家なのであろうか?

今の政治家の政治のやり方は、国民を蔑ろにした政治に思えてならない。

これは国民にも責任があるが、日本の政治体制にも問題があると思う。

日本は徳川幕府を倒し、明治維新へと進んだが、そこには民衆の声が

反映されていたのであろうか?

私は反映されていなかったと思う、藩の権力争いによって維新が成りたった。

藩制間の争いで明治維新が起こり、勝利した藩が権力を握って明治維新となった。

それにより今までの幕府が天皇に取って代わったが、そこには今までの武士の

政治体制は残されていたのである。

明治時代は開国により海外の情報を取り入れて、維新政治に変換したが

そこには武士が官僚と言う名に変わっただけなのである。

一般庶民から改革の声が上がって維新がなされたのではないため

庶民は「お上」が将軍から天皇に変わり、政治を仕切るのは官僚と言う名の

武士たちの集団に成っただけなのだが、その官僚が国民に対して海外の情報を

流して、民主化と思わせたに過ぎない。

国民も、それに気が付かずに政治が変わったと思い込み、

ある程度の自由を与えられて、勘違いしていただけのように思う。

外国の民主化は国民(庶民)側から声が上がって、改革が行われて来たのであるが

日本は藩制の中で武士が声を上げて権力(政治)を変えたのである。

この事が、今の日本にも受け継がれている。

日本は第二次世界大戦で敗戦国に成り、

アメリカから民主化を迫られて憲法を制定した。

ここに問題は無いが、日本の国民の考え方は庶民からの声で民主化に成ったのでは

無い事に問題があるように思う。

日本国民の政治に対する考え方は、封建制度の継続的民主主義のように思う。

日本は今まで国民から声が上がって政府が動いたか?

安保闘争が庶民から上がった強い抗議であったが。

政府は弾圧はしたが動かなかった。

外国では産業革命等では庶民からの声で改革されて来た。

だが日本では違う、官僚体制で何事も動かし、それを政治家が同調して政治を

執り行って来ただけなのである。

政治家を選ぶ国民は、昔の藩制と同じように跡目継続のように政治家を選び

それで2世や3世議員を作り上げて来たに過ぎない。

昔の藩制と同じように、金のある商人に頭が上がらず、その商人を抱え込み

政治を仕切って来たように、今も政治家は金の持っている企業に有利な政治を

行う事に成っている。

日本人は民主化と思っているが、国民(庶民)の声で、今まで何も変えていないし

国民の声など無視して政治を行って来たのは、国民が大人しいから政治家と官僚の

言うがままの政治に成ってしまっている。

これは民主主義とは懸け離れたものなのであるが、日本ではこれを民主主義と

思っている人たちが多すぎる。

だから政治家と官僚や大企業はやりたい放題であろう。

国民もお上の政治体制から抜け出せないように官僚が体制を作り

企業は金で操りやすい政治家を選択して、国民に押し付ける。

国民は自分たちの声など上げる事が出来ず、大企業と官僚の言うがままの

政治家を選択する繰り返しである。

日本人は封建制度のままに、民主化された政治体制に気が付いていない。

これは世界的にも見て、日本が民主主義と言うには愚かであるように思う。

国民が意識を変えない限り、今の政治も変わらないし民主主義と言えない。

これは封建制度と何ら変わらない、ただ自由にものは言えるが、言うだけで

国民の声など反映されない封建的民主主義の政治が行われているだけなのである。

基本的に政治家を変えなければならないが、

その前に選ぶ国民の意識を変えなければ

日本の政治体制は変わらないであろう。

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